18.古代ギリシャの医史跡を訪ねて

ー3か所のAsklepieionとヒポクラテスの木を見学ー


1.はじめに

 

予て訪問・見学を希望していたギリシャの医史跡 ― 3か所の“Asklepieion”(コス島、エピダウロス、アテネ)と‘“ヒポクラテスの木” ― の見聞記です。一昨年(平成30年)3月下旬、診療の忙しい合間を縫って5日間の短い日程でギリシャを訪問、現地滞在は3日間という限られた時間で濃密に見学しました。321日(水、祝)午後5時半頃自宅を出発、午後1145Emirates航空で関西国際空港発、日本からギリシャへの直行便はなく、Dubai空港で約5時間のtransit time過ごし、アテネ市内のホテル到着は22()午後4頃、自宅からホテルまでほぼ29時間を要しました。

 

 

ちなみに、現在のギリシャは、人口1080万人、国土面積13Km2、人口密度82/㎢。古代ギリシャの人口は不明ですが、国土は現在より広範でエジプト、イタリア、トルコの一部も支配地域でした。ギリシャ文明が栄えたのは、BC500年からBC350頃のことで、医療施設、民主政治、軍隊、入浴施設、哲学者(ソクラテス、プラトンなど)、歴史学者(ヘロドトス)、多民族との戦争が存在しました。一方、わが国は縄文時代末期から弥生時代初期に相当し、竪穴式住居、稲作の始まり、文字や職業はなく、狩猟で食料を得て日々の生活がかろうじて可能の時代で、比較にならない比較といえます。


2.Asklepieion(アスクレピオン、アスクレピオスの神殿)とは?


図1(インターネットから)

ギリシャ神話に登場するは蛇が蜷局を巻いた杖を持ち、よく知られていますが、蛇は再生能力抜群で、病を治す象徴とされています。

 

Asklepieion(図1)は医神Asklepiosを祀った神殿で、広大な敷地内に劇場、音楽堂、浴場、宿泊所、祭壇などを備え、判り易くいえば「祭壇を備えた総合医療センターまたは総合健康センター」といえます。当時大小合わせて600か所のAsklepieionが存在しました。病を持つ人が各地から集まり、宿泊所で入浴して身体を清め、順番がくると祭壇で神職による祈祷を受け、神(Asklepios)の像のもとで眠り、神が病気を治す夢を見て、神職がそれを判断し治療を行いました。その後観劇、入浴、音楽鑑賞などで数日を過ごし身体を癒した、と伝えられています。

 

図1(インターネットから)


3.コス島

 

23日(金)、朝早くアテネからコス島に飛行機で渡り、約50分で到着。タクシーでAsklepieionに移動。掲示板が示すとおり3層構造で、写真2.は1階から2、3階を見たもの。写真3は3階から2階部分を見たもの、石柱や土台石が残っていますが、建物構造は不明です。解説書によると、2階が宿泊所、3階に祭壇、仮眠所が設置されていました。

 

 

次に、車で20分走り、コスタウンに移動、町のほぼ中央に有名な「ヒポクラテスの木(写真4)」が堂々と聳立しています。     

 

わが国の30以上の医科大学や医学部に植えられており、そのルーツです。枝葉7~8mに拡がり、高さは目視5mくらい、鉄柵で囲まれ触れることはできませんでした。コス島に生まれたHippocratesBC460-BC370)はこの木の下で弟子たちに「人生は短い、しかし知識と技術は長い生命を持つ」 と自らの臨床経験による診断と治療を教授したと言い伝えらえています。(伝聞ですので、ヒポクラテスが90歳まで長寿だったか?、樹齢500年の木が2500年前に存在したか? は深く考えない方が良いようです)。ヒポクラテスの木を見学後、再び飛行機でアテネに帰りました。

写真1 掲示板(3層の構造)

写真1 掲示板(3層の構造)

写真2 アスクレピオン


写真3.第3層から2層を見た

写真4.ヒポクラテスの木



4.エピダウロス

 

24日(土)にアテネから車で1時間半離れた(約65kmEpidaurosという町の郊外にあるAsklepieionを訪問。ガイドブックの遺跡図(図1)では、添付のとおりで、資料館、古代劇場(写真5)、宿泊所、競技場(写真6)、浴場、祭壇所(写真7)などが示され、一巡すると2時間を要する広さです。古代劇場は保存状態が良好で現在も夏には演劇が上演されます。競技場は形が温存され残っていますが、宿泊所、浴場、祭壇所は土台石が遺残しているのみで、当時の建物構造は不明、徐々に解明されていっているようです。

 

資料館には写真8のレリーフが展示されており、これは「メス」を表しています。2500年前のメスの存在に驚き、膿瘍の切開用かと愚考し、帰国後識者に尋ねると「瀉血の際の切開用」とのこと。わが国は弥生時代で医療・医師など全く存在しませんが、古代ギリシャの医学に驚愕しました。写真9のレリーフはAsklepiosの治療施術を表しています。     

図1.遺跡図

写真6.競技場

写真8.資料館内のメスのレリーフ

写真5.古代劇場

写真7.祭壇所

 

写真9.アスクレピオスの治療風景レリーフ



5.アクロポロス

エピダウロスからアテネ市内に帰り、午後4時頃到着。アテネの“Asklepieion”は明日(25日、日)は国民の祝日のため休業とのこと、やむを得ず、閉館までの1時間で見学しました。他のAsklepieion に比べ、規模は小さいが、掲示版(写真10)には、祭壇、宿泊所、仮眠室が図示されています。土台石が散乱している現状(写真11.)の中に浴槽を見つけ撮影(写真12.)。同じ敷地内のアクロポリス丘に聳える有名なパルテノン神殿(写真13)を残り10分間で慌ただしく見学しました

写真10Asklepionno神殿掲示板

写真12.浴槽

写真11.土台席が散乱

写真13.パルテノン神殿



6.結語

ギリシャを訪問し、現地滞在3日間で3か所の“Asklepion“と“ヒポクラテスの木”を見学しました。古代ギリシャが栄えた時代は、わが国は縄文時代末期から弥生時代初期に相当し、竪穴式住居、稲作の始まり、文字や職業はなく、日々の生活がかろうじて可能の時代でした。一方、古代ギリシャは、医療施設、民主政治、軍隊、入浴施設、哲学者(ソクラテス、プラトンなど)、歴史学者、(ヘロドトス)、多民族との戦争が存在し、比較にならない比較といえます。

 

1)AskepieionAsklepiosを守護神とする教団(?)が運営する宗教施設兼医療施設といえる。医学の神様を祀るため病を持った人々が集まり、病人を治療する人は“神職 兼 医師”で、この施設が、祈祷所を併設する医療機関か? 医療を提供する宗教施設か? は不明です。

 

2)確実な治療方法が存在しない時代に、対症療法、入浴、劇や音楽鑑賞、競技観賞、さらに信仰も加わり、病人に安寧を与えたであろう、と推測します。

 

3)扱った疾患名や治療法について知ることができれば良いですが・・・。

 

参考図書:

1.石田純郎:ヨーロッパ医科学史散歩 考古堂書店  1996

2.深田祐介:甦る医神 アスクレピオスの物語  医歯薬出版株式会社 2001年  

3.K.Kereny著、岡田素之訳:医神アスクレピオス 白水社 1997

4.加我君孝:誰も知らないヒポクラテス、医学と看護社 2017