5.わが国の「感冒」疾患名の起源


20056月)   

早島町     木村医院  木村 

はじめに

毎年冬から春にかけて流行するインフルエンザについて知識を深めるために

読んだ解説書に「感冒はオランダ語のカンバウ(かぜ)からきたものと思われる。」と記述

されていた。オランダ語、ポルトガル語の辞書などを調べたが、「カンバウ」に相当する単語

はなく、後にこの記述は誤りと確認したが、この文章を読んだことが契機となり、『感冒』という

疾患名の起源に関心を抱き、探ってみた。

 

1.流行性感冒

influenza」の名称は1358年にイタリアで、わが国では「印弗魯英撒」の用語が

1835年に、「流行性感冒」が1890年に初めて使用されたことは定説になっている。

感冒については、富士川游著の「日本疾病史」1)の中に、江戸時代のいくつかの

医学書に時気感冒、天行感冒、温疫感冒など『感冒』疾患名が記載されているとあるが、

いつ頃から使用されたかの説明はない。

 

2.安土・桃山時代(1573-1603

1603年に刊行された日本語―ポルトガル辞書(日本語をポルトガル語で解説)

の復刻版「邦訳日葡辞書」(1980年刊)に「Canboカンバウ」という風邪を意味する

言葉の記載がある。このことは、江戸時代に入る前の安土・桃山時代に『感冒』が

既に一般の言葉として使用されたことを示している。

 

3.室町時代(1336-1573

室町時代の終わり頃に中国(明)に留学した田代三喜(1473-1544)とその弟子

曲直瀬道三(1508-1595)が執筆した医学書を調べ、田代三喜(タシロサンキ)の

三喜直指篇(サンキジキシヘン)」および曲直瀬道三(マナセドウサン)の「啓迪集(ケイテキシュウ)」と

師語録(シゴロク)」に『感冒』を見出した2)

さらに160-200年遡り、室町時代初期の南北朝時代(133-1392)に僧 有林(ユウリン)

著した「福田方(フクデンポウ、1370年頃刊)」3)にも『感冒』は存在した。(図1)

 

4.鎌倉時代(1192-1333

さらに遡り、鎌倉時代の医師 梶原性全(カジハラショウゼン、1265-1337)の代表著書

「万安方(マンアンポウ)」4)と「頓医抄(トンイショウ)」5)について、それらの復刻版を

調べた。「万安方」は、先に著作した頓医抄を詳細にしたもので、1315年頃の完成、

全文漢字で書かれている。計7か所に『感冒』を見つけることができ、「参蘇飲という

薬が感冒の発熱、頭痛、鼻流、喀痰に効く・・・」と解説されていた。まさに現在の

「普通感冒」の症状に一致する疾患名である。「頓医抄」は1304年頃の完成で、

漢字かな交じりの文体で書かれている。1か所のみに『感冒』があり、「敗毒と五積と

いう薬を半分ずつ合わせて服用すると寒さ熱に効果がある・・・」という意味の文言が記述

されていた。平安時代(794-1192)に書かれた日本最古の医学書といわれる「医心方

984年刊)」には『感冒』を見出すことはできなかった。

 

5.中国では

中国では北宋の時代(960-1127)に書かれた「仁斎直指(ジンサイジキシ)」という医学書に

『感冒』は存在する。また『感冒』は“ガンマオ”という発音で現在の中国でも使わ

れている。ということは『感冒』という疾患名は、中国で発祥し、中国に留学した

日本人医師によって日本に輸入されたと考えられる。「医心方」の原典といわれる中国

の隋の時代に書かれた「諸病源候論」(610年、巣 元方著)6)の復刻版に『感冒』を

見出すことはできなかった。

 

6.変わる疾患名、変わらぬ疾患名

『感冒』のみならず、漢字で表される現在の疾患・症状名のなかで喘息、黄疸、

咳嗽などは中国で発祥し、日本にもたらされた。そして明治初期に漢方から西洋医学

に切替えられた後も現在まで医学用語のいくつかは変わらず使用されてきた。一方で、

「痴呆」→「認知症」、「肋膜炎」→「胸膜炎」、「伝染病」→「感染症」、「精神分裂病」

→「統合失調症」、「らい」→「ハンセン病」、「精神薄弱」→「知的発達障害」、という

ように医学・医療用語は時に医学的理由により、時に社会的理由により変更を余儀なく

されるものもある。『感冒』疾患名は、現在「普通感冒」、「流行性感冒」として使われ

ているが、『感冒』自体は複雑な疾患ではないため近い将来に変更されることはなさ

そうと考えられる。調べ得た範囲では、『感冒』疾患名のわが国での起源は、遡ること

700年前の鎌倉時代であり、由緒ある疾患名といえる。

 

参考文献

1)日本疾病史 富士川 游著 日本醫書出版株式会社1944年第二版発行

2)三喜直指篇、啓迪集、師語録 いずれも京都大学附属図書館富士川

文庫にある江戸時代の写本をインターネット上で検索

3)福田方(1370年頃刊,有林著)復刻版 日本古典全集 現代思想社1979年 

4)頓医抄(1304年頃刊,梶原性全著)復刻版 石原明改題 科学書院1981

万安方(1315年頃刊 梶原性全著)復刻版 石原明改題 科学書院1981年 

6)校釈 諸病源候論 巣元方著南京中医学院校釈/牟田光一郎訳緑書房1989

 



図1.「福田方」(1370年頃刊)巻の2  ・・・風寒感冒肩・・・ 


図2.「万安方」(1315年頃刊)、・・参蘇飲 治感冒発熱頭・・・、・・・尋常感冒・ 


図3.「頓医抄」(1304年頃刊)  ・・・敗毒散ハ性涼若陰陽感冒セラレテ・・・