3.都窪医師会の起源と将来


都窪医師会の起源と将来

20041116 

早島町   

木村医院 木村 丹

3-2.はじめに

都窪医師会の「都窪」が地域名称である「都窪郡」 に由来することはいうまでもない。山手村と清音村 が都窪郡から離脱するため、2005年後半以降 都窪郡の構成する行政単位は早島町だけとなる。 早島町も将来倉敷市に合併される可能性は高く、 いずれ「都窪郡」という名称は消滅するだろう。 その際、「都窪医師会」の名称は存続するか? 

 

 

将来のための問題提起としたい。 

3-3.1700年前の都窪郡近辺(早島歴史街道)

3-4.都窪郡の起源

明治33年(1900)、東側の「都宇郡」と 西側の「窪屋郡」が合併して「都窪郡」が誕生。 

19の町村から構成され、郡の役所は倉敷町に おかれた。

3-5.都宇郡の由来

高梁川は昔、加茂村(岡山市加茂)のあたりで、 海に注いでいた。このあたりに船着き場(津)ができ、 繁栄した。周囲を含めて郡となり、「津の郡」すなわ ち「ツー郡」・・・・「ツウ郡」・・・漢字二文字をあてはめて 「都宇郡」となった、といわれる。

3-6.窪屋郡の由来

「窪屋郡」は、現在の倉敷市の北方に福山があり、 山と山の間のくぼみを窪山といったのを、「ま」を 省いて「くぼや」すなわち「窪屋」になった、 といわれる。 

3-7.都宇郡という名称の記録

都宇郡  建部郷、河面郷、撫川郷、 深井郷 

 931-938年(承平年間)“和名類聚抄”

 

都宇郡  建部、撫河、深井、駅家 

 

 

即ち、奈良時代初期に「都宇郡」の名称は みられる。 

3-8.岡山県の医師会

明治6年  弘道社 

明治12年 一到社 

明治19年 岡山医師組合 

明治39年 医師法制定により、岡山市医師会 

       その他各地の郡市医師会が設立された。 

大正初期 全国の郡市医師会が網羅された。 

大正4年  県医師会設立(法令による) 

大正9年  法定による県医師会設立 

昭和17年 官製の医師会に改組 

       (大日本医師会ー岡山県医師会ー都窪支部) 

昭和22年 民主的な県医師会と郡市医師会の設立 

昭和231月 都窪郡医師会発足(初代会長 秋本運  氏)

3-9.戦後の都窪郡医師会初代会長

秋本運先生(1893-1962)


3-10.都窪郡医師会の会報「つくぼ」

創刊号  昭和4512月発行 発行所「都窪郡医師会」

第二号 昭和469月 発行所「都窪医師会」 

第三号 昭和479月     〃 

第四号 昭和4810月    〃 

第五号 昭和4912月    〃 

第六号 昭和513月     〃 

第七号 昭和523月     〃

3-11.「つくぼ」創刊号(表紙)

「つくぼ」創刊号 都窪郡医師会(S.45 12月)
「つくぼ」創刊号 都窪郡医師会(S.45 12月)

3-12.「つくぼ」創刊号(発刊の辞)

高木 諦先生 

 「・・・・・・・今後都窪郡が、都市合併のため 地図から抹消されても、昔都窪郡という地域に、 都窪郡医師会があったという記録を残すことも出来ますし、又都窪郡はなくても、元の都窪郡地域で医師会として存続さしていくことも出来るからで あります。・・・・・・」 

 

 まさに現在もそのまま該当する文章であります。 

3-13.「つくぼ」会報の記事

3号(S.47.9) 

   難波 英樹先生 「おかしな世間」 

6号(S.51.3) 

   平松 正勝先生「反省の日々」  

6号(S.51.3) 

   S.50 都窪医師会総会の写真

3-14.記事(第3号、第6号)

第6号(S.51.3)
第6号(S.51.3)
第3号(S.47.9) 
第3号(S.47.9) 

3-15.記事(第3号写真)

S50 都窪医師会総会(第3号)
S50 都窪医師会総会(第3号)

3-16.都窪医師会報

第1号の発行年が不明だが、S.55年4月と推測。 

第2号:S.55年5月。 

第3号:S.556月。 

第4号:S.55年8月。 

     

95号:平成166月の現在に至る。 

3-17.都窪医師会会員数の増加

(S.46 吉備町、妹尾町、庄村、福田村が岡山市に合併)

(S.47 茶屋町が倉敷市に合併)

昭和23年 37(34)   平成5年  63(41) 

昭和48年 38       平成6年  62(40) 

昭和51年 40       平成7    ? 

昭和57年 47(39)   平成8年  71(43) 

昭和58年 47(38)   平成9年  77(44) 

昭和59年 46(39)   平成10年 84(45) 

昭和61年 49(38)   平成11年 86(45) 

昭和63年 52(39)   平成12年 93(46) 

平成 2年 56(37)   平成13年 95(45) 

平成 3年 59(36)   平成14年 97(46) 

平成 4年 59(35)   平成15年 98

3-18.都窪医師会名称の将来

当面は「都窪医師会」で何ら問題ない。 

 

将来、早島町が倉敷市に合併され、都窪郡の 名称が消失した際、「都窪医師会」の名称は 存続するか?変更されるか? 

 

その時の執行部が考えれば良いことだが、・・・・・・。 

 

個人的な希望・・・・・

とりあえずは存続させ、10-20年後に、 変更の声が大きくなれば変更すれば よい。